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アレルギーSTORY

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成長と食物アレルギーへの意識の変化

2019.02.01

投稿者
takashi

Author takashiさん

都内の大学に通う22歳の男子大学生。ウナギなど現在も魚類にアレルギーがあります。成長過程で食物アレルギーへの意識に変化がありました。

はじめに


現在22才の私は、魚類全般にアレルギー、またアナフィラキシーショックを発症する食物アレルギーもあります。兄は、乳児から現在までアトピー性皮膚炎を持っており、母はある特定の薬品を使うとかぶれます。ここで私の22年間での食物アレルギーへの意識の変化についてお話させて頂きます。

成長と食物アレルギーへの意識の変化


いままでに大豆、鶏肉、卵、そば、マンゴーに、3歳の頃に魚類全般で食物アレルギーを発症しました。
小学生の頃は、母が食べられない給食のおかずの代わりを、お弁当として持たせてくれました。また、所属していたサッカーチームでは友人達が、食物アレルギーを知らない友達に「なぜお弁当を持って来ているの?」と聞かれた時に説明するのを助けてくれたこともありました。このように小学生時代は、両親、学校、地域などに守られ、友人に恵まれていたことから、食物アレルギーで自分では苦労することが少なかったと思います。また小学校高学年になると、主治医が変わり、大豆、鶏肉、卵が食べられるようになりました。友人が美味しいと言って食べていた食べ物を、一緒に食べられるようになりましたが、その一方で、喘息もあった小学生時代は、軽度のアレルギー反応を起こすと、咳と痒みに苦しめられました。

中学生時代はエピペンを携帯するようになりました。中学校ではお弁当だったので、食物アレルギーが特別に見えることはありませんでした。むしろ、日常的に食物アレルギーをあまり意識しないでいられたからこそ、調理実習や修学旅行などのイベント時は、改めて自分が食物アレルギーであることを意識する機会でもありました。さらに、部活の遠征などで友人たちと外食することが増え、食品に注意を向けるようになりました。また、中学1年生の頃からカニとエビを食べると痒みが出たため、主治医の指導によって食べるのを控えていました。

高校生になり、小学校、中学校時代の友人はおらず、初めて私が食物アレルギーであることを同級生に誰も知る人がいない環境となりました。そのこともあってか食物アレルギーをコンプレックスとして感じるようにもなり、家族やそれまでの友人にも相談できず、一人で悩んでいました。この時期に、クミタスのアレルギーストーリーを知っていれば、気持ちが楽だったなと思います。
 
大学生時代では、そばが食べられるようになりました。行動範囲が広がり外食が増えたことで、食物アレルギーとより向き合うようになりました。私は会食の規模、目的、食事相手との関係性などを考慮し、アレルギーの伝え方を工夫していきました。
大学生時代は飲食物の調理販売のアルバイトをしていました。アルバイト先の店舗では、限られたスペースで店内調理をして食品を販売していましたが、その食品の中に、別の食材が混入し販売されてしまったことがありました。また、スーパーでかんぴょうずしを買ったら、中身がかんぴょうではなく、私のアレルギー食物であるアナゴだったことがありました。このようなことから、命の危険が身近にあると考えるようになりました。
 
これらの危険を回避するためには、多くの人々に食物アレルギーに関心を持ってもらうことが大切だと思います。飲食物の製造者が食物アレルギーを中心に考えると、仕事効率やコスト面で大きな負担になります。しかし、些細なことで命の危険がある人がいるということを認知して、適切な対応を行うことが、アレルギーを持病とする人々の安全な生活に繋がるのではないかと考えます。

いままでの取組の中で

 
小学校高学年から中学1年生頃まで食物経口負荷試験、経口免疫療法を大学病院の小児科で行い、大豆、鶏肉、卵を食べられるようになりました。一方、たらでは下痢を起こし、ウナギではアナフィラキシーショックを起こしました。
食べられる食品が順調に増えることは、私自身が嬉しいことはもちろん、家族や友達が喜んでいる姿も嬉しく思っていました。積極的な姿勢で取り組んでいましたが、一度アレルギー反応を起こすと、苦しいものへと豹変しました。その記憶は、恐怖や不安として私に残り、消極的な姿勢に変わっていきました。また、家族や友達が喜んでいる姿をみていたことがプレッシャーになり、軽度の痒みや、「やりたくない」などの自分の心情を言えない状況になりました。私は、ウナギでアナフィラキシーショックを起こしたことをキッカケに、自分の心情を吐露することができました。
私は、食物アレルギーの子供は食物経口負荷試験、そして経口免疫療法を積極的に行ったほうがいいと思います。なぜなら私の経験から、アレルギー反応による「苦しみ」というデメリットと、食べられる食品が増えるというメリットを比較した場合、食べられる食品が増えたことは、「苦しみ」というデメリットを上回るだけの利益を得ることが出来たからです。ただ、子供がアレルギー反応を起こしてしまった場合、保護者や医療関係の方は、子供が苦しみを記憶してしまう可能性があることを(考慮頂いていると思いますが)より多くの方に考慮頂き、子供の心のケアも含めた無理のない治療計画が築かれることを望みたいと思います。

最後に

 
22才の私は、食物アレルギーを悲観的に考えていません。先述した通り、私は物心つく前からアナフィラキシーショックを発症する食物アレルギーがあったため、私にとって食べられないことが普通であり、食事にも満足しています。たまに「可哀そう」などといわれますが、私は一度も食物アレルギーの自分を「可哀そう」などと思ったことはありません。確かに、食物アレルギーのことで悩み、不便に思うことはあります。しかし、食物アレルギーによって、両親の愛情や友人の大切さを知ることができました。これからも家族に感謝の気持ちを忘れず、友人を大切にして、食物アレルギーと向き合っていきたいと考えています。
長文を読んで、いただきありがとうございました。

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