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アレルギーSTORY

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感謝の気持ちを忘れずに

2014.08.04

投稿者
こうき

Author こうきさん

0歳のころから様々なアレルゲンにより、2回アナフィラキシーを発症。いまは落ち着いた日々ですが、20歳になって振り返ると、親には感謝することがたくさんあります。

食物アレルギーのある人:本人
問題になったことのあるアレルゲン:卵、乳、小麦、そば、いくら、キウイ、牛肉、くるみ、さば、なす、やまいも、里芋、ごま、カシューナッツ、動物、スギなどの花粉、ダニ、ほこり、ハウスダスト、一部の薬品類、お米、りんご、ペンキの臭いなども?)
発症時期:0歳~
現在の年齢:20歳

アレルギーは絶望的なんかじゃない!

僕はどうやらいわゆる重度なアレルギー持ちのようなんです。小学生の頃にはアナフィラキシーで2回命の危機に陥ったこともあります。
知り合いや友人からは「可哀想」「何を食べて生きているの」なんてよく言われます。でも、物心付く前からアレルギーだった自分からすれば食べれないものがあることの方が日常なんですよね。
決して自虐ではなくて(笑)アレルギーを面倒だとは思っても、怖いものや辛いものと捉えたことはあまり無いように思います。
 こうして日々の生活を楽しんでいられるのも、多くの人が自分を支えてくれたからです。クミタスという素晴らしいサイトに出会えたので、今までの20年間をちょっと振り返ってアレルギーSTORYを書かせていただきます。

母に支え続けられた日々

小学生の頃は給食の献立に合わせたお弁当を持参。友達が瓶を開ける時に飛んだ牛乳の一滴が肌についただけでそこが腫れて痒くなってしまったり、埃っぽい日には目が充血し常備している漢方薬(普通のお薬は飲めないものが多いので…)を飲んだりしていました。5年生の時は動物や食事の都合上移動教室に行けませんでしたが、6年生の修学旅行には母が料理を予め冷凍して宿に送ってくれたことで参加することができました。

 中学生も引き続きお弁当。時代も変わってきて宿もアレルギー対応ができるようになり、無事移動教室や修学旅行にも参加出来ました。成長につれてアレルギー皮膚炎も落ち着いてきて、段々と食べれるものも増えていき、その度になんだか自分が成長したような気がしてどこかアレルギーとうまく付き合えている実感を得てきた気がします(笑)。

 こうして気楽に昔のことを振り返れるのは母がありとあらゆることに細心の注意を払って僕を支えてくれたお陰です。食事はこれだけのアレルゲンの中から日々のメニューを考え、忙しい中の料理・お弁当を作ってくれました。

お風呂あがりは体中の皮膚炎をイソジンで消毒したり保湿をしたり。服を買う時は刺激が少ないようにと綿100%の繊維のものを買って、アレルギーに詳しい小児科の先生のところや耳鼻咽喉科に行ったり。

幼稚園や学校とは何度も連絡を取り合ってくれていました。きっと僕が気づいていないこともあるでしょうから、母には想像もつかないほどの身体的・精神的な負担をかけてしまったんだろうと思います。本当に、ただただ感謝です…。

発作は気から?

 中学生まで振り返ったところで少し寄り道を(笑)。普通の子とは違う子供時代を送った経験から「発作は気から」と考えるようになりました。別に決して発作を起こすのは精神が弱いからとかそんな非科学的な話ではないですよ(笑)

 小学生時代、2度目のアナフィラキシーを起こしてお医者さんから「なぜ救急車を使わなかった」と叱られて以来母は僕が発作を起こすことに敏感になったのか、ラムネを飲んだ際や茄子を誤食した際に発作が起きると大騒ぎになった思い出があります。ラムネの件の時は、添加物に乳酸カルシウム(だったかな?うろ覚えです)が入っていたせいです。

 実際は乳製品でないので全く問題ありませんが、スマホも無い時代でしたので大騒ぎです。 何の知識も子供にとっては親の言うことが一番。血相を変えた表情で「大丈夫!?苦しくない!?」と聞かれ続ければ、緊張してきて息がしづらくなり何だか息苦しくなってきます。そこで「なんだか息苦しいかも」と言ってしまえば最後。大慌てで処方された発作時の薬を飲み、茄子の際に至っては救急車で搬送され、病院で「なんともないですね」と言われて結構恥ずかしい思いも(笑)。
 
 この2件以降はなにか危ないものを摂取しても、「発作は気から」と考え、本当に辛くなるまでは口にしないようにしました(親からすればそっちの方がよっぽど不安なのかもしれないですが…)。「子供がアレルゲンを摂ってしまったかもしれない!」となれば慌てて気が気でなくなる気持ちもわかりますが、一旦深呼吸、落ち着いてお子さんの様子を見守って欲しいです。子供は大人が思う以上に大人の感情に影響されてしまいます。

高校生活からはチャレンジの日々

時は流れて高校進学。食べれないものも乳や卵ぐらいになり、小児科も年齢的に通えなくなり定期的な血液検査も終わりました。そして友達同士で遊んだり、部活で旅行に行くようにもなり、外食などでアレルゲンが含まれたものをどうしても口にしないといけない機会も増えてきました。

 最初のうちはアナフィラキシーが起きないか不安で仕方なかったのですが、特に症状が出ないこともわかってきました(たまに湿疹もでましたが、何が原因かはわかりません(笑))。何かに挑戦する時はアナフィラキシー対策で直後に激しい運動をしないようにしながら、少量ずつこっそり。そして高校時代は卵、大学時代からは乳製品にもチャレンジするようになりました。

 多少喉に閉塞感を感じるように感じることがあったり、声が出しづらくなる時もありましたが、ショック症状を起こすことは特になく、今では、食べ過ぎない範囲で日常的にいろんな料理を楽しめるようになりました。液体の乳そのものや、カルピスやコーヒー牛乳、乳が入っているカクテル類などはなんとなく怖くて手が出せずにいるんですが…(笑)
 
 食事だけでなく薬もチャレンジして、漢方薬ではなく普通の薬を使うようにしました。特にスギ花粉は血液検査でもメーターを振りきっていて、とてもじゃありませんが漢方薬でどうこうできるものではなく、春はまともに生活することも出来ませんでした。ですから初めて点鼻薬を使ってマスクがいらなくなった時の爽快感はとても文章じゃ著せません。

 思えばアレルギーっ子を持つお母様方や関係者の方々からすれば鳥肌モノの内容で、「ここまで苦労してくださったお母様に申し訳なくないのか」と言われかねませんね…。ですが、結果オーライといいますか、自分がやってきたことに後悔はないです。母を始めとする僕を支えてくださった人々に自分は無事、普通に食事がとれるようになったことを伝えられる、自分が誇りを持って語れるアレルギーSTORYです。正直今からアレルゲンの入った食品をとるなと言われたら嫌ですしね(笑)

アレルギーは前向きに向きあえる

アレルギーは当事者よりも、それを支える人、特にお母さんが一番辛い病気です。でも、そんなに絶望的に気負わないで欲しいです。

 20年も経つとアレルギーの人がとても生きやすい世の中になってきたと思います。給食でアレルギー対応は珍しくなくなり、アレルゲンの表示義務や外食産業ではアレルゲン一覧表の用意。そしてインターネットの普及で他のアレルギーっ子を持つ親御さんと繋がったり、お医者さんを調べられ、クミタスのようにアレルギー対応食品が気軽に検索、購入が可能な世の中になりました
。正直小学生の頃の自分から見れば冗談抜きに天国のような世界ですね(笑)きっとこれからもよりアレルギーの人たちが過ごしやすい世の中になっていくと思いますし、自分もそれを手伝えるお仕事ができればと思います。

 ここまで自分を支えてくださった方々に感謝を述べると共に、身の回りにアレルギー患者の方を持つ方々は「この料理ってこんなものでも作れるんだ!」「この食材を食べれるって幸せなことなんだ!」と言った気持ちを大切に、前向きに向き合っていただけることを願いながらアレルギーSTORYを締めくくらせていただきます。
 なにせ20年もあったので、もっと1つ1つ詳しくお話したい内容はいくらでもあるので、機会があればまた記事を書いてみたいですね。お忙しい中最後までお読みいただきありがとうございました!

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