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アレルギーSTORY

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アレルギーの姉と医学生の私

2016.01.13

投稿者
えりか

Author えりかさん

部活や課外活動に明け暮れる都内の医学部3年生。姉が重度のピーナッツ、ナッツアレルギーであることから、食物アレルギーや免疫学に興味をもつ。

家族のアレルギー状況
父:花粉症。
母:びわ、リンゴなどの果物(口腔アレルギー症候群)、花粉症、金属
姉:ピーナッツ、ひよこ豆、カシューナッツ、くるみ、アーモンド、ピーカンナッツ、マカデミアナッツ、ピスタチオ。現在の年齢 25歳、発症した時点の年齢 2歳
妹(私):数年前から甲殻類、豆乳、ヨード造影剤。

姉の食物アレルギーがわかり


私は都内の医学部に通う学生です。姉が初めてアレルギー反応を起こしたのは赤ん坊のころ、私がまだ生まれる前でした。当時はカナダに住んでいて、日本から送られてきたお菓子を食べてアナフィラキシーショックに陥ったのがきっかけです。母の話によると、姉の体は食べた直後に全身が赤く膨れ上がり、呼吸困難で救急病院に搬送されたそうです。血液検査の結果、ピーナッツに非常に強いアレルギーがあることがわかりました。それ以降、医師の助言に従い、ピーナッツは完全除去するようになりました。

今になっては正しい判断ではなかったのかもしれませんが、そのあと生まれた私も同様にピーナッツは絶対に食べてはならないとして、実際に10歳のころに血液検査をして陰性であることが判明するまではピーナッツは一切食べることなく、私たち姉妹は何を食べるにも原材料を確認することが日常で、確認できないものは口にできませんでした。幼少期を過ごしたロシア、ドイツではピーナッツ、ナッツを使用した食品が多く、原材料を確認することも容易ではなかったので、友達と同じものを食べられない辛さは多々経験しました。パーティーでおいしそうな料理やケーキを食べられないなんてことも姉妹で一緒に我慢してきました(笑)。
 
今思い出すと、母も私たち姉妹のために本当に奮闘していました。英語、ロシア語、ドイツ語をマスターし、学校や保護者にアレルギーに関する手紙を配布していました。手紙には食物アレルギーに関する知識、誤食時の対処方法が書かれていたと思います。おかげで姉は日本に帰国する中学生のころまで救急外来にお世話になることはありませんでした。
 
私たち姉妹は結局10年間ほどピーナッツを一切口にせずに育ち、私はそもそも予防的に除去していただけなので、今では何も問題なくピーナッツを食べることができますが、姉は乳児期と変わらずピーナッツの強いアレルギーは良くなりませんでした。
日本に帰国し高校や大学に進むと、友達付き合いや外食も増えたため、姉は何度かピーナッツ、ナッツを誤食しアナフィラキシーショックを起こしました(具体的には、頂いた手作り菓子、駅弁の牛丼、外食でのトマトソースパスタ、高野豆腐に微量に含まれていました)。

姉のアナフィラキシーと向き合ったことがきっかけで


私が晴れて、食事制限から開放されて好きなものを存分に食べている一方で、姉は相変わらずアレルギーで苦労していてなんだか少し申し訳ない気分でした。
そんなこともあって、妹としてなにかできることは無いかと、アレルギーの治療や専門病院などをインターネットで調べ始めたのが中学生のころでした。当時、保険適用ではありませんでしたが、日本でもエピペンの処方が始まっていると知り、姉には携帯してもらうようにしました。免疫療法が効果的かもしれないというニュースを知って病院を探しましたが、すでに姉は成人していましたし、本人も苦痛を伴う治療は望んでいなかったので諦めました。
 
このような状況だったので中学生くらいのころから「将来は食物アレルギーの特効薬を作ってノーベル賞をとる」と冗談で言っていました。とはいえ、私の家族・親戚は文系の人間ばかりだったので、医学部を目指そうとまでは思っていませんでした。しかし、その後、虫垂炎の手術をしてくださった外科医に憧れ、とりあえず医学部も受験してみようと思いました。1年間浪人した末に私立経済学部、法学部、私立医学部に合格することができました。私立の医学部となると学費が非常に高額なので進学先には非常に迷いました。将来は父のように海外で働きたいという思いもあったので尚更でした。入学手続き前日になっても決心がつかず大学見学をしていたら、飲み会に行っている姉から「息が苦しい」と電話がかかってきました。近くの居酒屋だったので急いで駆け付けると、姉は顔面蒼白で手足は冷え切っていました。店員さんによると料理に微量のピーナッツが使用されていたとのことだったので、急いで救急車を呼び入院となりました。この時、私は非常に怖かったのですが、なによりも医療に関して無力であることが嫌で、「やっぱり医学部だ」と決心がついたのです。

将来は


そんな経緯で医学部に入学して、既に3年がたとうとしています。医学部の3年生というと基礎医学を終え、臨床医学がやっと半分終わったかなという程度です。食物アレルギーについては授業であまり触れられていませんし、知識もまだまだですが、これから医師へと脱皮していく中で、やはり私にとって食物アレルギーはしっかり向き合いたい問題です。
 
いま、官民協働留学支援プログラムを利用してスタンフォードにある食物アレルギー専門の研究機関でインターンシップ活動を考えています。また現在、これに先駆け、日本における食物アレルギーの社会での取り組み等を調べています。日本にはアレルギーについて真剣な人々、財団、企業が確かに存在しています。まだまだ不便なことや誤解されることは多いかもしれません。しかしこのような状況はこれからきっと変わっていきます。私もその力になりたいと思っています。
 
最後に、食物アレルギーはもちろん無いに越したことはありませんが、姉がピーナッツ、ナッツアレルギーであることによって人の優しさを感じることが何度もありました。世の中にはアレルギー以外にもたくさんの病気や悩みを抱えている方がいらっしゃると思いますが、私もそんな優しさを持ったお医者さんになりたいなと思っています。

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